生活をつむぐ、
人をつなぐ、
世代をむすぶ。

地域がひとつの家族となれる社会を目指して

嘉村俊明

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たより処 あきのて

生活支援というお仕事は、どんなことをなさるのですか?

主に高齢者が多いのですが、日常生活動作(ADL)が落ちてしまって、サポートが必要になった方の様々な行動・作業の支援をしています。具体的に言うと、荷物の移動や病院への付き添い、家の中でのお手伝い、自宅から施設もしくは施設間の引越しのお手伝いなど、数え上げるとキリがないです。 ただ介護のお仕事とは近しいのですが少し違います。介護保険ではできない範囲のお困りごとを解決するお手伝いです。 例えば施設の送迎の際、保険内のサービスでは玄関からあがれないこともあります。でもその方は日常生活に不便さがあって施設を利用しているわけですから、家の中でも何らかの介助が必要なはずですが、そこまで保険でお手伝いすることができない。そういう保険外の分野を支援するのが私の仕事です。

嘉村さんも、もともとは介護職だったとか?

そうです。現場で携わっていく中で、もっとこの方々にとって必要な支援があるのではないかと、自分の仕事の範囲にジレンマを感じるようになりました。ケアプランを考えるケアマネージャーは、介護保険の中での組み立てをするのが仕事で、そのケアプランに沿ってヘルパーさんは動いていきます。だからどうしても手の届かない範囲ができてしまうんです。 実は私がこの仕事を始めようとした時、知人の数人のケアマネージャーに考えを伝えたことがあるんです。すると程度の差はありましたが、5人共が「そういう保険外のサービスがあったらいいなと思っていた」と言ってくれたんです。同時に、「ただ、何ができるかが分からない」とも。これは社会的に必要なことだと思い、誰かが始めなければならないなら私がその道を切り開こうと、独立してこの仕事を始めました。

介護職をする前はミャンマーで野球指導を行っていたとか?嘉村さんには、介護業界を客観的に見れていたように思えますね。

ずっと野球でキャッチャーをしていたのが原因かもしれません。 実は小学生から社会人までずっとキャッチャーをしていたんです。キャッチャーは「守備の要」「扇の要」とも言われますが、守備の際一人だけ味方の方を向いて座っています。そこから全体を見渡して、必要な指示を出したり、配球を考えたりするんです。点を見るのではなく、全体を見る。それが体に染みついているんだと思います。

野球に取り組んでいた嘉村さんは、どうして介護の仕事に就くことになったのですか?

ミャンマーでの経験が大きかったと思います。 プレイヤーとしてではなく、そろそろ指導者の道も考えだしていた頃、ミャンマーの子供たちに野球を教える機会を頂いて、単身渡航したんです。日本人として初めてミャンマーで野球を教えるという経験をさせて頂きました。その時に感じたのが、ミャンマーの子供たちはとても素直だということ。そしてその根底に仏教があるということを知ったんです。それまでほとんど本も読まなかったので、仏教についても何も知りませんでした。しかし私は子供たちを指導する立場ですから、同じ目線が持てるようにと、仏教の勉強を始めたんです。そして子どもたちの素直さの訳を知ったんです。 仏教には、「諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)」という言葉があります。悪いことは為さず、善い行いをしなさいという教えです。一見当たり前のことですが、「知っている」ではなく「している」か? と聞かれると自信を持って「している」と言える人はいないのではないでしょうか。 いつも心にその言葉を持って生きていれば、心を養っていけるのだと学びました。そして「人は鏡である。為したことは善きも悪しきも返ってくる」というのも、自らの行動を律することに繋がりました。 そしてその二つの言葉を学んだ時に浮かんできたのが、祖母のことなんです。祖母は小料理屋を営んでいました。地域の高齢者が集まるお店で、笑顔に溢れていました。祖母はちょっと儲けようとか、そういうずる賢さを持たない人でした。いつもお客さんが喜んでくれるようにと、少し損をするような人で、当時はなぜだろうと不思議に思っていましたが、仏教の教えを地でいく人だったんでしょうね。 祖母のお店で感じていたんですが、高齢者の「ありがとう」って言葉は、何というか深いんですよ。染みるんです。それまでの人生経験が乗っているというか……。そんなことを感じていたので、高齢者が集まるコミュニティを作りたいと思っていました。でもある時気づいたんです。そこに来れなくなってしまった人がいるということを。だから待っているのではなく、ありがとうを追いかけることにしました。ミャンマーでの経験、学び、そして祖母の存在が、私を介護の仕事、そして今の仕事に導いてくれました。

独立後は順調だったんですか?

いえいえ、全然です。サービスを知ってもらうことにとても苦労しました。介護事業所に飛び込みしても、「介護保険外のサービスって何?」と門前払いでした。 私自身もうまく伝えることができず、悶々としていました。本当に必要だったんだろうかと、心が折れかけたこともあります。でもそんな中、先ほどお伝えした前職でお世話になった数人のケアマネージャーが仕事を紹介してくれたんです。 彼らの紹介のおかげで、私のサービスの幅が広がり、出来ることがより鮮明に見えてきました。それを伝えることで更に紹介に繋がっていき、今では口コミだけで依頼を頂くよ うになりました。

依頼なさる方はどんな方が多いのですか?

多くの場合、ケアマネージャーさんが私のことを紹介してくださるのですが、支援が必要なご本人から直接依頼頂くこともありますし、遠方にお住まいのご家族からのご依頼も増えていますね。 昔は大家族で、子育ても介助も家族みんなで行っていました。でも今は核家族が増え、遠方で仕事に就くこともあり、心は繋がっていても直接的な支援はできないという方が結構いらっしゃいます。そんな想いを代わりに実行するのが私の役割です。 国も「地域包括ケアシステム」という制度は作ってくれましたが、具体的な動きにまではまだまだ繋がっていないのが現状です。ならば、地域のサービス、特に知られていないサービスなどを含めて、地域が一つの家族となれる、そんな姿を作っていこうとしています。そして地域がひとつの家族になることによって、大事な価値観が受け継がれていくことに繋がると考えています。

受け継がれる、とは?

例えば高齢者がお持ちだった家具や衣類。もちろん使えなくなったものもありますが、まだまだ使えるものもある。そしてそれらにはその人の歴史や想いが詰まっていると思うんです。施設内の居室には入らないからとすべて捨ててしまうのではなく、残せるものを次世代に引き継ぐ。時には形を変えて利用する。そうすることによって、その地域に一人の価値観が残っていくと思うんです。 まだまだこれからですが、有難いことに共感してくれる仲間も増え、一歩ずつ進んでいっている気がします。ミャンマーの野球指導にいくべきかどうか悩んでいた時に仲間が言ってくれたのが、「鐘は打たないと響かない」ということでした。やらないと何も起こらない。一歩ずつ歩み続けることで、やがて地域にたくさんの大きな鐘の音を響かせられるよう、励んでいきます。